研究所について
  • ブラウザに内蔵されているリーダービュー(Microsoft EdgeではF9)を活用いただくとより読みやすくなります。お試しください。

大橋謙策先生の部屋

老爺心お節介情報 第78号

2025年12月23日

 皆さんお変わりありませんか。寒暖の差が激しい気候ですが、風邪やインフェルエンザにはくれぐれも気を付けて、佳い年を迎えましょう。

 私の方は、今年も「草の根の地域福祉実践」を励ますべく、全国各地を東奔西走しました。

"地域づくりにはよくて10年は掛かる"と教えられ、焦ることなく「関係人口」として関わっていこうと思いつつも、老い先長くない私はどうしても焦って、システムづくりや研修をしがちになっています。

今の現役の大学教員は、社会福祉士教育の制約もあるのでしょうか、「関係人口」として「地域づくり」に丁寧に関わる教員が減ってきているように思えます。このような状況で市町村の地域福祉実践は豊かになるのだろうかということも私の"悩みの種"です。

他方、今年は嬉しいことが2つありました。

第1は、日本社会事業大学の学部、大学院での教え子の金玄勲さん(現在社会福祉法人幸福創造の理事長で、ソウル市社会福祉協議会会長)が、11月末の韓国社会福祉協議会会長選挙で、相手候補者にダブルスコアで勝ち、当選したことです。

私と2005年頃に「団子3兄弟」を誓った韓国社会福祉学会の元会長である金聖二先生、同じく李世哲先生が多大の応援してくれたとのこと感謝とお礼の申し上げようがありません。人のつながりのありがたさ、嬉しさを改めて実感しました。

第2は、日本社会事業大学、東北福祉大学大学院での教え子である大石剛史さんがSOMPO福祉財団賞を受賞することが決まったとのこと、"教師冥利に尽きる"朗報です。

忙しき 仕事仕舞に 冬至かな

 山茶花に 潤い見出す 乾き街

 年の瀬の 香り漂う 散歩かな

   玄冬夜 轟くバイク 何を問い

                  兼喬作(2025年12月22日)

Ⅰ、本を読んでーー「関係人口」のあり方を考える

 本屋大賞を受賞した『過疎ビジネス』(横山勲著、集英社新書、2025年7月)を地域福祉研究者は是非読んでください。

 仙台に本社がある新聞社・河北新報の記者が、企業版ふるさと納税を悪用して小さな町を食い物にするシンクタンクの事例を取り上げた内容です。

 地方の小さな自治体は、人口減少、趙高齢化の中で必死に打開策を見出そうと頑張っています。しかしながら、役場の職員の不足、情報収集能力の不足、企画立案力の弱さがあることは残念ながら事実で、そこに付け込んだ手口です。

 我々、地域福祉研究者も、地方自治体の地域福祉計画づくりや地域づくりで関りを持つ「関係人口」の一員です。市町村とどのような関わりをもちながら、その市町村の地域福祉の推進に貢献できるのか、改めて考え直しました。

 地域福祉研究者の地域づくりに関わる「関係人口」のあり方を考えないと一種の研究倫理に違背することにもなりかねません。

Ⅱ、大石剛史著『ケアリングコミュニティの理論―社会福祉の新しい地平を拓く地域福祉のメタ理論』(学文社、2024年9月刊)がSOMPO福祉財団賞を受賞

  筆者の日本社会事業大学時代の学部生で、修士課程でも指導した大石剛史さんは、国際医療福祉大学の教員時代に東北福祉大学大学院の博士課程に進学し、筆者の下で博士論文を書いて、博士の学位を取得しました(大石剛史さんは2024年度から東北福祉大学教員、日本地域福祉研究所理事)。

 大石剛史さんの博士論文は、筆者が1990年代から提唱してきているケアリングコミュニティについて、ノディングスやバナーのケアリング理論、あるいはハーバーマスの考え方、小林正弥や広井良典の考え方などと比較しつつ、ケアリングコミュニティ理論を深めてくれました。

 その博士論文を整理して刊行された本が標記のものです。その著書がSOMPO福祉財団賞を受賞したとのこと大変嬉しい限りです。

 筆者は、三浦文夫先生の後を継いで2代目のSOMPO福祉財団賞選考委員会の委員長を仰せつかっていました。この財団賞は日本社会福祉学会の「学会賞」よりも歴史が古い賞です(社会福祉学会の「学会賞」は、筆者が日本社会福祉学会の会長の時に、学会創設50周年を記念して2004年に創設したものです)。

 財団賞の選考の方法はしっかり体系化されたもので、選考委員長として緊張をした選考過程を思い出します。

  授賞式は、2026年3月10日に行われるということです。財団賞には、副賞として フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」の七宝焼きが贈られるはずです。

Ⅲ、そのときの出逢いが」――私の生き方、考え方に影響を与えた人との出逢い』④

そのときの出逢いが

 出逢い そして感動

人間を動かし 人間を変えてゆくものは

むずかしい理論や理屈じゃないんだなあ

感動が人間を動かし

出逢いが人間を変えてゆくんだなあ・・・ 

                           (相田 みつお)

1.1980年代前半―「福祉教育論」の体系化と「地域福祉活動指導員養成課程」                             

 筆者が日本社会事業大学専任講師として採用されたのは、小川利夫先生の後任枠であったので、担当科目は教育原理、社会教育論で、かつ教職課程の責任者としてであった。

 当時、地域福祉論、コミュニティオーガニゼションは鷲谷善教先生が担当されていた。

鷲谷善教先生が、1980年3月に定年退職をされた機会に、筆者がその科目を担当することになり、文字通り「社会教育と地域福祉の学際研究」の科目を担当することになった。そして、この時には、助教授への昇格(1977年)も認められていた。

➀ 全国社会福祉協議会の「福祉教育委員会」

 1980年、全国社会福祉協議会 全国ボランティア活動振興センターは「福祉教育研究委員会」を設置した。その委員長に筆者は任命された。それは多分、「ボランティア基本問題研究委員会」での言動や、『月刊福祉』に「福祉教育の視点と方法」(1979年3月号)という論文を書いていたからであろう。

 福祉教育のあり方を巡っては、日本が1970年に高齢化社会に入ったことを受けて、東京都社会福祉協議会や大阪府社会福祉協議会で、一番ケ瀬康子先生や岡村重夫先生等が中心になって研究が行われ、研究報告書が出ている。その二つの報告書は、いずれも高齢化社会に入った日本の介護問題への理解の促進と必要な人材の養成確保という視点が濃厚にあった。

 筆者は、それらの福祉教育に関する報告書を尊重しつつも、そのような"〇〇のための福祉教育"という発想ではなく、教育基本法の理念(➀ 世界の平和と人類の福祉に貢献する力の習得、②個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成の具現化)に、福祉教育が必要不可欠であると考えたからである。

当時の教育界では、人権教育、同和教育、平和教育、道徳教育など教育基本法の理念の具現化につながる教育実践、教育課程として位置づけられており、それなりに実践されてはいたが、それらはやや言語的理解に基づくものであった。

当時、筆者たちが指摘していた子ども・青年の発達の歪み(➀社会的有用感の喪失、②集団への帰属意識、準拠意識の希薄化、③成就感、達成感の欠如、④対人関係能力、自己実現表現能力の不足、⑤生活技術能力の不足)を改善するのには、言語的な理解の促進以上に、障害を有する人や高齢者等、普段日常的に接する機会が少なくなってきていた方々との交流とその方々への支援に関わるという"切り結び"の中で自己肯定感や社会的有用感が高まると考え、福祉教育の必要性を提起した。

そのような取り組みがなくて、高齢化社会の理解、人材確保という視点が先行した福祉教育の必要性をのべても説得的でないと考えた(『青少年のボランティア活動』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編、1984年、全社協刊参照)。

 「福祉教育委員会」の設置を打診された際、筆者は➀子ども・青年の発達の歪みとの関りで、学校教育と福祉教育、②学校外教育の組織化と福祉教育のみならず、③社会福祉専門職養成の在り方としての福祉教育、④成人の地域づくり、生涯学習と福祉教育も視野に入れて議論を進めるべきであると考え、委員の構成もそれらを勘案して欲しいとお願いをした。

 その結果、「福祉教育研究委員会」の委員は、臼井孝(高校教員)、近藤正(淑徳短期助教授)、牧恒夫(栃木県社会福祉教育センター主幹)、阪野貢(宝仙短期大学助教授)、興梠寛(日本青年奉仕協会事務局次長)、山田秀昭(全社協・のちに全社協事務局長、常務理事)、木谷宜弘(全社協)で構成された。

 牧恒夫(栃木県社会福祉教育センター主幹)さんに委員になって頂いたのは、この頃各都道府県で社会福祉研修所の充実強化が図られており、栃木県は県職員の大友崇義さんの思いもあり、かなり本格的な検討・構想で整備されていた。その社会福祉研修センターの一翼に専門職の研修のみならず、成人の社会教育の分野での福祉教育も、就学中の子ども・青年の分野でも福祉教育を入れて、推進してもらいたいと考えたからである。

 この頃、筆者は青森県社会福祉研修所(青森県庁には日本社会事業大学の卒業生が沢山おり、野上四郎、秋田谷秀敏、中村晃、三浦裕の各氏には特段のお世話になった)、秋田県社会福祉研修所(大泉哲子日本社会事業大学卒業生)、山口県社会福祉研修所(山本圭介日本社会事業大学卒業生)などに良く招聘されていたので、社会福祉専門職の研修体系の必要性は重々理解していたが、その一翼に成人向け、子ども・青年向けの福祉教育を加えられないかと考えたからである。

 阪野貢先生は、日本社会事業大学の後輩で当時面識がなかったが、阪野貢先生が書いた『社会事業教育研究序説』を読んでおり、社会福祉専門職教育の歴史的考察もさることながら、子ども民生委員制度や社会事業教育協力校の歴史的側面を整理しておきたいとお願いし、これ以後まさに畏友としてのお付き合いをさせて頂いている。

 近藤正先生は、東京都主任社会教育主事の経歴を有しているので、社会教育分野での福祉教育の普及を考えたからである。筆者は、1960年代から東京都教育庁の三多摩社会教育会館の事業の一環として、障害者の学習、スポーツ、レクリエーションの普及と福祉教育との取り組みをしていたし、東京都教育庁の事業である「市民参加・企画による講座」の在り方検討会で、社会福祉コースを担当していたこともあり、お願いをした。

 この「福祉教育研究委員会」では、小学校、中学校、高校での教育課程の中に、いかに福祉教育を素材論的にも方法論的にも組み入れられるかを検討した。文部省(当時)が10年間隔で改定する学習指導要領の中に福祉教育を組み込むことは容易ではないが、各教科の学習素材として福祉教育に関わる資料や視点を組み込めないか、また障害を有している人との"切り結び"を行う方法はないかを検討した。

 小学校は主に岩手県教育員会と小学校、中学校は島根県教育委員会と中学校、高校はある意味"一本釣り"で研究委員をお願いした。その際に知り合った山口県三田尻高校の権代敏満先生や島根県松徳女学校の山本寿子先生や静岡県の社会福祉法人天竜会の山本三郎先生、山本睦先生などとはその後も厚誼を続けて、いろいろお世話になった。

 この「福祉教育研究員会」は、その普及・推進のために全国福祉教育研究セミナーを全国各地で行おうと企画し、その第1回が島根県松江市で行われた。

 また、「福祉教育研究委員会」の成果は、1984年に『福祉教育ハンドブック』として全国社会福祉協議会から刊行されている。また、この研究の成果を基に、その後光生館から『シリーズ福祉教育講座』(全7巻)が刊行されている。

 この福祉教育研究は、筆者の「社会福祉と社会教育の学際研究」の具体的成果のひとつであり、社会福祉分野において、福祉教育実践、活動の一つの領域を確立し、体系化させたと自負できるものであった。

 この研究員会の成果もあって、若輩なのに佐賀県の社会福祉大会に招聘された(招聘してくれたのは当時の佐賀県社会福祉協議会常務理事の大塚巌さん)。また、島根県社会福祉協議会の山本直治常務理事との交流が始まり、山本直治先生の縁で島根県邑南郡瑞穂町(当時、松江から自動車で3時間かかる町)の福祉教育に関わるようになり、日高政恵さん(口述の全社協主催の「地域活動指導員養成課程」の修了者)と肝胆相照らす仲になる。

日高さんは成人向けの福祉教育では、町内の集落ごとに「地域福祉デザイン教室」を開き、いまでいう地区ごとの地域福祉活動計画を策定した。また、町内の小学校で、大山先生などと福祉教育を行うとともに、ご本人は手話講習会の講師を務める等の福祉教育を多面的に展開し、"社会福祉協議会の活動は福祉教育に始まり、福祉教育に終わる"という哲学で社会福祉協議会と福祉教育を推進された(『安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)』澤田隆之・日高政恵共著、万葉舎、2000年8月刊行参照)。

 ちなみに、日本地域福祉研究所主宰の全国地域福祉実践研究セミナーの第1回は、瑞穂町で1995年に行われた。

② 全社協「地域福祉活動指導員養成課程」での出逢い

 全社協は、1979年度から「地域福祉活動指導員養成課程」を始めた。筆者はその第1期から「福祉教育論」を担当した。

 この養成課程は、全国の社会福祉協議会の職員が履修する通信制の課程で、各教科毎に課題に即してレポートを提出させ、講師が添削をして返却する方法で、講師にとっても負担の大きいものであった。

と同時に、この養成課程は期末に1週間の宿泊を伴うスクーリングがある。朝から晩までの講義とグループディスカッションは濃密なもので、履修者相互の交流の深まりもさることながら、講師との関りも濃密になり、筆者にとってはその場で全国各地の地域福祉実践の現状、情報の把握ができる場で、研究者としても貴重な機会だった。

 更には、夜の酒を通じての懇親の機会は、お互いが一宿一飯の釜の飯を同じくした、地域福祉実践向上を志した"同志"のような気持にさせてくれるものであった。

 筆者は、この養成講座で知り合った実践家たちにどれだけ教えられたか分からないほどの学びがあり、それが"縁"で各地での地域福祉実践向上に向けた実践研修の機会や地域福祉計画策定、社会福祉協議会の組織経営のコンサルテーション等の機会を頂けた。

 この「地域福祉活動指導員養成課程」での出逢いがなければ、筆者の地域福祉研究は、空疎な、抽象的なものになっていたことは紛れもない。

 その養成課程における「出逢い」の一端は、2017年に日本地域福祉学会第31回大会が松山大学で行われた際にまとめられた『地域福祉の遍路道―四国・こんぴら地域福祉セミナーに学ぶ』(2018年刊行)に収録されている拙著「地域福祉実践の真髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク」に詳しいので参照頂きたい(阪野貢先生主催の市民福祉教育研究所のブログに収録されたている)。

 沖縄県読谷村の上地武昭さん、香川県琴平町の越智和子さん、徳島県社会福祉協議会(当時)の日開野博さん、白方雅博さん(松山市社会福祉協議会)などとの交流が始まる。

上地さんは、その後沖縄大学の教員になるが、沖縄県浦添市の地域福祉計画づくり(浦添てだこプラン))や沖縄県地域福祉実践セミナー、沖縄県中部市町村社会福祉協議会事務局長研修などで一緒に活動することになる。

越智和子さんは、琴平町がボラントピア事業を受託した1980年に琴平町へ招聘してくれた。夏の暑い日で、中学校の体育館に約1000人程度が集まる盛況で、体育館にはエアコンもなく、客席の間の通路に氷柱を立てての講演会で忘れられない思い出である。その後、琴平町が「あふれあいのまちづくり事業」を受託する1995年に、当時の町長と尋ねて来られ、それを契機に琴平町及び琴平町社会福祉協議会のコンサルテーションが続くことになる。

1997年には、第1回のこんぴら地域福祉セミナーを開催し、ホテルの会場に約600人の住民が参加した。その第1回のセミナーには、島根県瑞穂町の日高政恵さん、岩手県湯田町(現西和賀町)の菊池多美子さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者)もシンポジストとして登壇してくれた。

このように「地域福祉活動指導員養成課程」で「出逢った」社会福祉協議会職員との関りが筆者の地域福祉実践、研究を育ててくれた。その一人一人の名前を挙げることはここではできないが、改めてこの紙上で厚く感謝とお礼を申し上げる次第である。

③ 社会福祉とレクリエーション

 筆者は、1960年代後半から、障害者の学習・スポーツ・レクリエーションに関心を寄せ実践的研究を行ってきた。

それは、社会教育法が、全ての国民が社会教育を行えるよう条件整備をすることを法律で謳っているにも関わらず、当時の社会教育では障害者や高齢者の社会教育は殆ど展開されてなく、社会教育法の趣旨に反するのではないかと考えたことと、他方、社会福祉行政における障害者施策の中に、障害者の学習・文化・スポーツ・レクリエーションに関する施策は年1回の運動会以外皆無という状況であった。

「社会教育と社会福祉の学際的研究」を志している筆者にとって、これらの状況は看過できない状況であった。

このような時代背景もあって、筆者は障害者、高齢者の社会教育の推進について論文も書き、実践も行ってきた。その一環として、1980年代前半に、日本社会事業大学の垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の薗田碩哉さん、千葉和夫さん(後に日本社会事業大学教員)と「社会福祉とレクリエーション研究会」を作り、調査研究を行った。

この研究活動の一環として、全国の入所型社会福祉施設の実践がレクリエーションの考え方に照らしてどうなのかという視点での調査をおこなった。その際、我々は、レクリエーションの考え方をいわゆる"チイチイパッパをすること"というレクリィエーションではなく、その人の快適な状況を創り出すという視点を大事にし、その人の生活環境を「快・不快」という視点から分析することにした。

1981年には、日本レクリエーション協会の機関誌『レクリエーション』(244号)に垣内芳子先生と共著で論文を書いた。垣内先生は、日本社会事業大学で体育とレクリエーションの開講科目を担当していたが、多分、この論文がある意味その後の垣内先生の研究領域、研究方法を変えたのではないかと考えている。

「社会福祉とレクリエーション研究会」の成果を筆者は、日本社会事業大学の紀要第34号(1988年3月刊行)に「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題して執筆している。

1988年の6月に行われた学校法人日本社会事業大学の理事会に出席されていた阿部志郎先生が、筆者の論文を読んでこういう考え方が必要だと評価してくれたのを思い出す。それは、阿部志郎先生や仲村優一先生等が編者として刊行した『社会福祉事典』にレクリエーションの項目がなく、それを批判したことと、権田保之助の考え方、福祉サービス提供のあり方(入所型施設で提供しているサービスを分節化して、利用者の必要と求めに応じてサービスパッケージの方法で行うことを提唱)に関心を寄せてくれたからである。

「社会福祉とレクリエーション研究会」の研究成果は、日本レクリエーション協会が出版社ぎょうせいから3部作として刊行したものの1冊として、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』として刊行されている。

④ 地域福祉計画――1990年代の市町村社会福祉行政の計画化の先取り

 筆者は、1976年に拙稿「施設の性格と施設計画」(『社会福祉を学ぶ』、有斐閣、1976年)を執筆した時から、なぜ社会福祉行政には地方自治体ごとの社会福祉施設整備計画、社会福祉サービス整備計画がないのかと問い続けてきた。例え、社会福祉行政が機関委任事務であっても必要な社会福祉施設整備計画は必要ではないかと考えてきた。

その考え方は、➀社会教育行政では、市町村の社会教育計画を策定するという考え方があったこと、②1969年の地方自治法の改正で、地方自治体は基本構想、弔辞計画、実施計画という計画行政を展開することが求められてきたこと、③江口英一先生の指摘を考えるならば、住民は自ら住んでいる地方自治体に対し、住民の生活を守るべき計画行政を推進すること、とりわけ保育所の整備は待ったなしの状況であったことが上記のような論文を執筆するに際しての要因としてあったのかもしれない。

いずれにせよ、筆者は1970年代初めからに史町村行政における社会福祉計画の必要性を提起してきた。1979年に執筆した「ボランティア活動の構造図」においても社会教育計画の必要性を位置づけている。

 筆者が地方自治体の計画行政に携わるのは、1970年に東京都稲城市での「社会教育施設モデルプラン」、社会福祉行政分野では1979年に足利市からの委託を受けて行った「足利市における社会福祉実態調査研究報告書」(日本社会事業大学地域福祉計画研究会刊)を出し、それを踏まえて1980年に「今後の足利市における社会福祉施策について(答申)」に関わったことが始めである。

 全社協は、1983年の市町村社会福祉協議会の法制化に際し、議員立法ということもあり国会で付帯決議がなされた。その付帯決議の趣旨を踏まえて、市町村社会福祉協議会の力量を高める一つとして、全社協は地域福祉計画を策定することを考えた。それは自治体計画と相互補完的な位置づけの下に、市町村社会福祉協議会の充実強化と地域福祉、在宅福祉サービスの整備を計画的に進めようという考え方であった。

 全社協の「地域福祉計画」策定委員会は、全社協・地域福祉推進委員会の特別部会として設置され、委員長は山形県社会福祉協議会の渡部剛士事務局長であった。

この委員会で、関西地区を代表して委員になった牧里毎治さんと一緒した。この委員会の研究成果は、『地域福祉計画―理論と方法』として1985年に全社協出版部から刊行された。

 この委員会に置いて、筆者はフォーマルサービスの整備とともに、近隣住民によるインフォーマルケアが必要であることを提起したが、当時の全社協地域福祉部長の石黒チイ子さんが"大橋さん、インフォーマルケアってどういうこと"と質問されたことが鮮明に記憶されている。

 この委員会が契機となり、牧里毎治さんに依頼されて、日本生命済生会が出版している『地域福祉研究』第12号(1985年)に拙稿「地域福祉計画のパラダイム」を執筆した。

 このような経緯もあり、筆者は市町村や市町村社会福祉協議会の地域福祉計画策定の重要性を改めて認識し、その計画づくりにおいて地域福祉の視点に基づく新しい社会福祉サービスの開発や新しい地域福祉の視点に基づくシステムづくりを意識的に重視して入れ込んでいくことになる。筆者が、"地域福祉とは新しい社会福祉の考え方であり、新しい社会福祉サービスの提供であり、新しいシステムづくり"なのだという考え方は、この委員会での論議を踏まえたものである。

 筆者は、この後、全国各地の市町村で地域福祉計画、老人保健福祉計画、生涯学習計画などに携わることになる。その計画づくりが抽象的な絵空事を並べたものでなく、「画に書いた餅」でないことを明らかにするために、その計画で盛られたシステムづくりや求められた実践が計画策定後豊かに展開されたことを確認するとともに、それらの計画内容と実践を広く広めるために本として刊行してきた。

その一端が、東京都狛江市社会福祉協議会の「あいとぴあプラン」(『地域福祉計画策定の視点と実践』(第一法規出版、1996年刊)、岩手県遠野市の「ハートフル遠野プラン」(「21世紀型トータルケアシステムの創造」万葉舎、2002年刊)、山口県宇部市の生涯学習・社会教育計画「いきがい発見のまち」(万葉舎、199年刊)、長野県茅野市「福祉21プラン」(『福祉21ビーナスプランの挑戦』中央法規出版、2003年)等である。

                        (2025年12月20日記)

(備考)

 「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢 市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
 この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。
阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育」というコーナーがあります。そこには、私の論文やお遍路紀行文や私を育ててくれた人びととの出逢いのエッセイなどが収録されていますので、ご参照ください。

第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と居きる意味を知るー
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうかー
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―
第4巻「異端から正統へ・50年の闘いー「バッテリー型研究」方法の体系化―
第5巻「研修・講演録―地域福祉の過去から未来へ
第6巻「経歴と研究業績―地域福祉実践・研究の系
第7巻「福祉でまちづくりー支え合う地域福祉実践・「まちづくりと福祉教育」の嚆矢
第8巻「大橋謙策若き日の論考―地域福祉論の「原点」を探る
別巻 「地域包括ケア・介護・CSW・潮流と展望~理論と実践・他人の土俵に乗る~
ブックレット「社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題

Page Top